2020年内限定で活動を再開したロックバンド「ゼリ→」。
ボーカルのヤフミによる単独反抗と銘打って復活を告げたバンドのツアーに今回、参戦した。
時は1月。2020年、新年が明けて一発目のライブ。
このライブを僕は、特別な意味を持って観に行ったんだ。
音楽のルーツはその人となりを体現する
どんな音楽を聴いているか?
それだけでその人がすべて分かるわけではない。ただ、どんな音楽を好んで聴いているか、その音楽でその人が何を感じ取っているのか、そこにその人の深い部分を紐解く鍵があると感じている。
ある日、僕はゼリ→のライブに彼女を誘った。
最新のJポップしか聞かない彼女はライブもコンサートも行ったことがないと言う。
これといって大好きなアーティストがいるわけでもない。
対して僕はゼリ→が好きだ。解散した今でも聴いている。聴き続けている。
僕は僕の好きなものを知ってもらいたかった。どういうやべー奴がやべー音楽やっているのか、知ってもらいたかった。
あわよくば、僕が僕の中で起こった変化を、ロックバンドのライブという非日常を経験して得た日常の変化を、感じてほしかった。
二つ返事で行くことになった彼女にとってはじめてのライブというものを、彼女はとても楽しみにしているようだった。
いい歳したオッサンのパンク
ライブに行くにあたりゼリ→というバンドがどういうバンドなのか、ざっくり僕は彼女に話をした。
どのような歴史を辿り、今回の復活にどういう意味があるのか、ファンたちにとってどういう意味合いを持つのか、そんなことを話した気がする。
しかし、それほど興味を持たせられなかった。
それもそうだ。彼女にとってパンクロックなど無縁だったもので、このようなきっかけでライブに行くことにはなったが、もともと全く知らないバンドであり、そんなバンドの歴史や意味合いに興味など持たない。
僕が逆の立場でもそう思うだろう。なにを熱くなってんだよ、って。
12月に発売されたゼリ→名義の新譜E.Pを彼女と一緒に聴いた。
続けて配信された「キミのヒビ」のMVを一緒に観た。
感想は「いい歳したオッサンのパンク」ってなんかダサいね、と散々なものだった。
それは一個人の感想だ、僕はそこにとやかく言うつもりはない。そう思ったのならそれはそれだし、強制するつもりなんてまるでない。ただ、ライブを観て、生で聴いて、それからどう感じるのか、そこで判断して欲しかった。それは僕がゼリ→を好きだから。僕が好きなロックバンドはライブに行けば死ぬほどかっこいいんだぜって感じて欲しかったんだ。これは奨めた側のエゴかもしれないけど。
ゼリ→のライブ
「世界と僕らの本当の距離」で幕を開けた当日のライブはモッシュとダイブでとても懐かしい雰囲気だった。
ゼリ→のライブに来たなぁと僕は感慨深く、彼女は少し圧倒されているようだった。
これは僕の持論だが、いいロックバンドのボーカルは客が目を離せないものだと思う。常に目で追ってしまう危うさと圧倒的な存在感、歌声はもとより、目線や表情、手足の動き、あらゆる角度からその熱量を客は感じ取る。
そこで思い知る。自分のくだらない鬱屈した何かに風穴をあけるエネルギーを持ったものだと。
この日、ゼリ→のライブはほとんどヤフミだけを目で追っていた。あー、かっけえなと。
「作り雨」からの「次の晴れた日に」の流れは鳥肌がたった。
「おもちゃのピストル」はパンクバックオーシャンのライブでも聴いたけれど、やはりゼリ→として聴くとまったく違った。
「VOLVO PUNK」では自然と手を挙げてしまっている。
「NITRO GANG」で幕を閉じたゼリ→のライブもその終わり方までかっこよかった。
男のくせに女みたいな見てくれで、ナヨナヨした所作、何が言いてーんだよっていうクソみたいなものを垂れ流す最近の音楽は僕は苦手だ。
ライブが終わったとき、僕は自分が好きなものは好きだと2秒で答えられる人でいようと思った。
帰り道
無音の車内は家路へと急ぐ。
なかなかライブの感想を口にしない彼女は余韻に浸っているんだろうなと僕は思った。
いくつかの信号待ちを経たその先で彼女はおもむろに「よかったね」と言った。
「うん、とってもよかった」と僕は答えた。
正確な曲名を知らないし、はじめて聞く曲ばかりだったから、どの曲のときにどうだったかという感想の言い方はできないんだろうなと瞬時に感じ取った。
だけどヤフミという名前は覚えたし、ゼリ→のライブにまた行きたいとも言っていた。物販で買ったTシャツとタオルを渡すとすごく喜んでいた。
それ以来、彼女の車では常にゼリ→が流れている。
結果だけ言うと、「いい歳したオッサンのパンク」はファンを一人増やしたんだぜ。
歴史もクソも知らない初見の人の想像力をパンクロックでぶっ壊したんだぜ。
こんな最高な夜は他にないなと僕は思った。