誤診率99%。医師の中での自殺率No.1。精神科の中身はとても大変なことになっています。

精神科のみならず、心療内科も同様に誤診が多いと言われています。

1.実体験に基づく誤診・応対の話し

僕は今から数年前に付き合っていた彼女がいた。

彼女は当時、何らかの精神疾病を患っていた。後にある事件がきっかけで境界性パーソナリティ障害と診断される。

当時は行く先々の医療機関で鬱病や躁鬱などと診断された。

そのためいつも大量の薬を処方され、それらを信じて服用していた。

ある心療内科にかかったときの話しだ。

そこは大きい駅のすぐ近くにあるクリニックで、院内は小さく入院施設もない。

医師は一人で受付は二人。患者はいつも待合室に溢れ、淡々と定期的なリズムで新しい患者と入れ替わる。

この心療内科では「クイック診療」というものをやっていた。

クイック診療とは5分の面談で薬を処方するというもの。

正直言って、たった5分でその患者の変化を見るのは無理だと思う。にもかかわらずどんどんはけていく患者に新しくやってくる患者。

なぜこのようなクリニックにこれだけ多くの患者が訪れるのだろう、と僕は疑問に思った。

2.二つ目の心療内科

先ほどのクリニックから3駅ほど離れた場所に新設されたクリニックがある。

ネットなどでは評判のクリニックだ。

僕はセカンドオピニオンとしてここに彼女を連れて行った。

しかし、待ち時間が異常に長く待合室には待ちくたびれて眠っている患者もいた。

だが、そのクリニックは大型の施設に対して常に医師は一人で診察しているため待合室も混み合い、そのせいで予約も取りづらく苦労することもあった。

それでもそれだけ有能な医師の方なら適切な面談から彼女の症状を読み取り、少しでも回復に向かう処置をしてくれるだろうと期待していた。

だが、実際にされたのは薬の処方だけで、面談に時間はとっても症状はいっこうによくならないことが続いた。

精神科や心療内科での初診時にいきなり病名を診断されることは絶対にない。

もしあったとするなら、そのような病院やクリニックは絶対に避けてもらいたい。

なぜなら鬱や躁鬱、統合失調症や先に述べたパーソナリティ障害といったものまで一口に言っても人によって症状の違いはあり、環境も生い立ちも、置かれている生活も違う。

その中で的確に病名を診断するのは何度も面談を重ね、医師と相談し続けなければ不可能なのだ。

僕は彼女を連れ、いろいろなクリニックに通ったが、結局はどこもうやむやな診断しかしてもらえない。

これは恐らく僕らだけではなく、あの当時クリニックの待合室にいた患者たちも同様の悩みを抱えていたはずだ。

ではなぜ、このようにある種いいかげんな診察がまかり通ってしまうのだろう。

そしてなぜ満足に診察も診断もされていないのに「とりあえず」と強い薬を処方するのだろう。

その原因はこの国の精神医療における金の動きとレベルの低さにあった。

3.精神医療の現実

大学を出て大学院に入り、博士を取得後に医師免許と臨床心理士を取得する。といった流れが精神科や心療内科で活躍する医師になるためのプロセスだ。

言うまでもなく、医師免許を取得すれば研修医を経験しなければならない。大学院を出て研修医を経験し、精神科として勤務するころには現役のままいっても30前後。

その歳まで複雑で難解な学問を必死に勉強し試験に突破した彼等は若く最も吸収する時期をほぼ勉強に費やしていたはずだ。

そのまま精神科に上がり、マニュアルに沿って患者と対面し、診察を行う。

どうだろうか。

人生経験のない彼等に人の心や気持ちなどが分かるのだろうか。

最も一概に全ての精神科医師がそのような人であるとは言えない。だが大半はそうであるように思える。

少なくとも、僕は彼女を連れ様々な心療内科や精神科に通った。

そこで出会った医師の人たちは目が完全に死んでいて、光もない。こちらが話していても目も見ずにカルテにただ書き込む。ひどいときには相槌も打たない人もいたり、「絶対に治りませんよ。あなたは。」などと心ないことを言う医師もいた。

人の心や気持ちを考えたときに精神疾病にかかっているとは言え、マニュアル通りにはいかない複雑な心境を誰もが抱えている。

そうした気持ちの上で縋るように診察に訪れているのにも関わらずそのような応対ではまるで「勝手に死ね」と言われているようなものだ。

精神科という心の病気に携わる以上、医師当人の心的負担は計り知れないものと考える。

それはそれとして、患者に対してそのようないい加減で曖昧な診察を続けていたらこの国は精神科難民で溢れかえってしまうだろう。

医師に関する応対や診察の底上げ、心的負担の軽減は国の課題である。つまりシステムの話しだ。

心的負担を避けるために先に述べた心療内科での「クイック診察」などがまかり通ってしまっては絶対にいけない。

もう一つの要因が「薬」だ。

主に心療内科にその傾向が見られるが(精神科もそういう意味では同じだが度合いは心療内科の方が多い)簡単な診察ですぐに薬を処方される。

その薬がどんなものか、またどれぐらいの強さか、主にリスクに関することは医師からは明確な説明はない。

訪れる患者は「死ぬほど苦しい状態」をなんとかしてもらいたくて診察に来ているのに、何とも適当な診察でとんでもない副作用の薬を簡単にそして大量に処方する。

精神医療は経営が厳しいとよく言われている。患者はたくさんいるのに一人あたりの単価が低いため、経営は困難な傾向にある。

それを補填するのが「薬」だ。

処方箋を大量に出せば利益は上がる。その大量の薬を飲み続けさせれば患者はその薬なしでは平常を保てなくなる。つまり薬漬けだ。

そうすれば定期的な収入源となる。

扱う薬がどれも大手の製薬会社が絡んでいるため、そこで汚いやり取りが実際にあるということは容易に想像がつく。

つまり、患者はそのほとんどが喰いものにされているわけだ。

このような現状から、この国の精神医療に対して希望は持てるのだろうか。

4.専門医は確実にいる。

僕の彼女はある事件をきっかえに適切な診断をされた。今考えれば、その事件がなければきちんと診断されなかったと思うと本当に恐ろしい。

きちんと診断されたならあとはそれを専門にしている医師を探すだけだ。

インターネットで簡単に検索できるからこそ、今こうしてここに書くことが出来るまで回復したと言える。

ここまで書いたように精神科、心療内科は8割りが言ってみれば「ヤブ医者」だと思っていただきたい。

そして自分の症状にあった適切な専門医を探すことが回復の一番の近道になるはず。

必要ならば生活の環境を変えて、「回復するため」の環境にすることが大切です。

自分の症状が分からないという方は心療内科ではなく、大学病院などの精神科を受診し、その診断結果を鵜呑みにせず、セカンドオピニオン、サードオピニオンと診察を受けて確かめてください。

本当に信頼できる医師を探すことは非常に難しいです。そしてこの国にはそのような医師はごく少数です。

薬を処方されても服用する前には必ずご自身で徹底的に調べましょう。周りの人が代行してもいいです。

とにかく、「今」が辛いからと言って「薬」を言われるがまま服用すると数年後にとんでもないことになります。

それは本人もその家族も、そして僕らもきちんと理解していなければならないことです。

あとがき

精神科誤診、医療ミスで亡くなった患者も少なからずいるようです。

ストレス障害、軽度の環境障害で幻聴などが聞こえると言っただけで統合失調症と診断→SSRIを処方→効かないとなるや閉鎖病院に強制入院→無理やりに薬や電気ショックを続ける→副作用で廃人に→死亡→遺族が病院を相手に訴訟→当の担当医は雲隠れ。

これは去年、すなわち2013年の出来事です。詳しくはこちらの書籍を読んでください。

僕は悔しくて涙が止まりませんでした。そして、驚きと落胆が同時にやってきました。

そもそも正常な人間に強い精神薬を飲ませ続ければ、その副作用で廃人になるのは目に見えています。

にも関わらず、きちんとした診察もしていないのにそのように強い薬を処方したり、病名を診断できてしまうことが何よりも問題です。

発信していかなければ、きっと今も辛くて苦しんでいる人もいる。それを支える家族もいる。

もうこの国は終わっているのかもしれません。

それでも、このような問題に関心のない人たちの心を動かせればと今回は記事に起こさせていただきました。

粗末な文章ですが最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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