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主に境界性人格障害について思うこと

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ここ最近、様々な媒体で境界性人格障害について目にとまる機会が多かった。

個人的にこの境界性人格障害とは因縁があったりもする。

本当にいろんな人がいろんな場所でいろんな環境で苦しんだり、逃げ出したり、嫌気が差したり、騒いだり、といろんな表現方法で訴えている。

今日はそれに対して自分の消化ポイントを考えていきたい。

身内、あるいは近しい人に境界性人格障害の方がいらっしゃる方は、僕と一緒に考えてみませんか?

化物だと言う人

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「ボダは化物だ」と言う人がいました。

彼は彼なりに大変な経験をしてきたんだと思います。そしてその上で自分と同じ思いをしないように、させないように人に訴えているんだろうと思います。

特別僕は彼の文章から何かを感じたりはしませんでしたが、激しい語気や攻撃的な表現方法が多々あったので、よっぽどのことを経験してきたんだと思うのです。

かくいう僕も「激しい経験をしてきた」一人でして、先日、友人の一人から「お前は10代の頃から人格というか性格が変わっちまったな」と言われました。

それが良くも悪くも、という意味です。

境界性人格障害の彼女を持ち、自分なりに必死に支え向き合ってきたつもりでしたが力及ばず・・という経験からどうやら僕自身、自分で気づかないうちに人格すらも変わっていたようです。

けれど、自分としては特に悲観するわけでもなく、以前の彼女を恨むわけでもなく、今こうして境界性人格障害のことを個人的に調べ、記事に起こし、なんとか力になれればとしているのは、そのような経験を礎に「自分がしたいことをしている感」が強いのでなんとも思わないのが現状です。

境界性人格障害というのは周り、もしくは近しい人にこれほどまでに多大な影響を与えるのです。と、言いがちですが僕はそうは思いません。

多大な影響を与え、人格すらも変えてしまい、人の純情を弄び、といったよくありがちな例を前に「だからなに?」と思う程度です。

結局、ダメなことはダメだということ、人の気持ちを考えること、そして他者との間としての自分の比重をうまくコントロールできないから苦しいのであって、それらをうまく心の中で整理整頓、消化できないから周りに当たるのだと思います。

もちろん、境界性人格障害だから何をやってもいいというわけではありません。

何をやってもいいというわけではありませんが、化物と言われるような謂れもないとも思います。

ただの人間。僕もそして境界性人格障害を持つ人も、「被害?」にあってきた人も、そしてご家族の方々も。

ただの人間です。それ以上でもそれ以下でもない。

ないはずなんだ。

人格が変わってしまったという僕の話

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僕は自分の思いを言葉にすることが苦手だ。

相手にはいつもうまく伝えられない。いや、伝えようともしない。

それはいつでも「揺れている」からで、確固たる静かな自信が自分にはないということもわかっているからだ。

ほんの些細なことにも物事の捉え方、その可能性を模索し、いちばんしっくりくる答えをいつまでたっても探している。

それは結局のところ、「自分がない」も同然で、こんな風に頭の中で湧き上がる価値観の渦を未だに操れないでいるのは本当に情けない。

自分のこととなるといつもうまくできない。自分に自信がないからで、自分のことが嫌いであり、自分をいつまでも許せないでいる。その思考ルートすべてをマイナスだとも思わず、ひたすらに自分自身を否定し、闘いつづけることでしか今の自分には存在価値を見いだせないというのが本音である。

もちろん、これは僕自身の問題で僕自身の内部の嵐であり、激流でもある。

だから他人に言うつもりもないし、べらべらと話すつもりもない。

それでも、やはり僕も人間だ。孤独が耐え切れなくなったりもする。耐え切れなくなって自分の本当の話を友人に話してみても分かり合えることは極めて稀である。極めて稀であることは分かっていたはずなのに「ほら、みろよ」と自分で自分に文句を言う自分がさらにイラついたりする。

面倒だ。

面倒だが、これが自分。面倒だから否定し、闘わなければならない。

誰かさんに人生がひっくり返るような言葉が言えるように、誰かさんの疲れを一撃癒す言葉が見つかるように、誰かさんの荷物を軽くしてあげられる言葉を贈れるように、僕にはまだまだ考え続けなければならないことばかりだ。

僕は僕が嫌いだから、僕のために何かをするということができない。

誰かのためになるのならどんな力だって発揮できるといつも思っている。そのために力をもっとつけなければ。もっと角度を増やさなければならない。

さきほどのトピックで書いた「境界性人格障害」を化物という人は恐らく僕とは真逆だ。

激しい経験をしたから「もうあんな思いはしたくない」と思い、否定的になっている。

僕は中身は違えど「もうあんな思いはしたくない」と思い、あのときできなかったことを少しづつ克服する道をたどっている。

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