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死にたいと言われたら~境界性人格障害の彼女~

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死にたいと思う人が世の中にはたくさんいます。

言い方に語弊がありました。死にたいと「思ったことがある」人が世の中にはたくさんいます。

それは何も特別なことではなく、生きづらい社会のなかでときに人間関係で、ときに仕事や学校で、ときに人生に起きる不可解なことで人は簡単に生きることを諦めたくなるものです。

「死にたい」という気持ちそれ自体は特別悪いことではないと思います。

純粋な気持ちがそこにあり、「単純」に辛い、悲しい、苦しいといった気持ちが要約されて吐き出された言葉であるから裏側には絶望が、そのまた裏側には「本当はもっとうまく生きたい」という願望が隠れているものです。

僕が今までの人生で死にたいと言われた事例をあげていきます。

それほど特別なことではないかもしれません。現代には似たような事例、似たような境遇の方がたくさんいると日々感じているからです。

その経験を踏まえて、自分なりに勉強し、どういった対応がベストなのかをこの記事の最後にまとめてあります。

今、「死にたい」と言われ困っている方へ、関係性は様々ではありますがきっと何かの参考になると思います。

境界性人格障害の彼女

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とても辛い出来事を経験してきた彼女は幼少期に「我慢」を覚えることで自分を守ってきた。

青春時代に受けたトラウマにより、ボーダーライン発症後に僕は彼女と出会ったわけだが、リスカ(自傷行為)やOD(薬を大量に飲む等の自傷行為)などを乗り越え、現在は回復に向かっている。

ボーダーライン、境界性人格障害の通称だが、この障害とも精神疾病とも似つかない症状はとにかく周りの人間を本人の意識とは逆の方向に振り回してしまう。

  • 見捨てられ不安
  • 性への軽率な行動
  • 裏切り行為

といった具合に友人や恋人を振り回してしまう「傾向」にある。

全員が必ずしもそうなるわけではないが、その「傾向」は本人を含め周りの人間をおおいに巻き込むためなかなか回復に向かうための環境が整わないことが多い。

さらに現代の医療の現場では発見されづらい(診断で出づらい)ので処方される薬やカウンセリングなんかも本人の症状に合ってないことが多々ある。

それほどまでにこの症状は難しいものだということを直接的に隣で見てきた僕からまず言わせていただきたい。

死にたいという意思

メールで、あるいは会話でたびたび僕はこの言葉を聞いてきた。

当時の僕は無知であるが故に「死にたい」だなんて思ったらダメだと事あるごとに彼女に言ってきた。

以下は僕がなにかしらの言葉でこの苦しみを抜け出せたらいいと探してきた結果の言い回しである。

  • 死んでしまうよりも生きていたら楽しいことがこの先に待っている
  • 死にたいという気持ちは生きたいという気持ちの裏返しだよ
  • 残された周りの人間はどうなる?あなたが死んだ悲しみを背負って生きていくのか?

このような言葉をときに遠まわしに、ときに直接的に伝えてきた。

今考えれば至極当たり前の言葉のようで実はまったく彼女の気持ちを理解してあげることができていなかったように思う。

死にたいと言われたら取るべき行動

上の事例で僕は散々「死にたい」と言われた。

後に彼女から聞いた話と僕自身が得た知識などを踏まえると取るべき行動と伝えるべき言葉は当時とは全く違うものだと気付いた。

取るべき行動

  • とにかく傍にいること
  • 話を聞き続けること
  • 相手の目を離さないこと
  • 共感すること
  • 相手の話をまとめ「~だから~と思って死にたくなる」といったように相手が自分の思考を整理しやすくなるように相槌を打つこと

伝えるべき言葉

  • あなたが死んでしまうととても悲しいということ
  • 好きなだけ好きなように言葉を発していいということ、また、それらを受け止めるということ
  • あなたを一人にはしないということ

上記の行動や言葉はどれもその場凌ぎに過ぎない。

だが、何か言葉を言えばそれが相手に響き、瞬時に「生きたい」に変わることなどはないということはどうか理解していただきたい。

この症状は落ちてしまうとかなりの深みにはまってしまうため、言葉は基本的に届きにくい。

そして異常に一人になるのを恐るのでそばにいるという行動自体が安心させるための一番の妙薬になる。

境界性人格障害は年齢と共にその症状は落ち着いてくると言われている。

だが回復に向かう段階で「自分がした行動や言動で相手がどんな気持ちになるか」つまり「人の気持ちを考える」ことをきちんと自分のものにしなければ症状は収まったが、考え方などが原因で大切なものを失ってしまうことに繋がりかねない。

恋人であった僕の行動にあてはめるとそばにいて、言葉をかけ、病気を理解し、相手の気持ちを理解し、その上で「あなたのその行動、その言動で僕は深く傷ついた」ということを「教えなければ」ならなかったわけだ。

あとがき

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今回は境界性人格障害の事例を用いて記事を書かせていただきました。

予備軍となる方や、実は私も・・・という方が増えつつある世の中でその一人一人を支える人もまたいるわけだ。

きっと支える人もたくさん苦しみ、悲しみ、絶望しながら「それでも」と思って日々を闘っていると思う。

自分のキャパ以上のことを要求され、パニックになっている方も少なからずいると思う。

いつでも大事なことは「相手の気持ちを考えること」つまり「思いやり」だ。

それが最大の武器であり、最後の切り札になる。

「死にたい」というその気持ちは「その場」では解消できなくとも、時間をたくさん使ってゆっくりと「生きていたい」と思えるように、「生きいてよかった」と思えるようになると信じよう。

 

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