気が付けば社会の波に飲まれていた。
気が付けば当たり前を難なく受け入れていた。
気が付けば疑問も持たずにわずかに早く生まれたやつの言いなりになっていた。
環境が変われば嫌でも応じざるを得ない世の中で、状況が変われば嫌でも応じざるを得ない関係で、
久しぶりにあったツレに最近どうだと聞かれればまぁまぁだと答えなければならない毎日で、
久しぶりに会いたいあの娘に近況を報告するにはまぁまぁ頑張っているよとしか言えない現状で、
何を変えたくて社会に出たんだ。
何をぶっ壊したくて世の中に出たんだ。
勤めて三か月で辞めたくなっているようなクソしょうもねえ若造がいったいなにをこれから、誰に伝えていこうとしているんだ。
生き死に賭けた戦いではないのかもしれない。
これに失敗しても次の機会にも恵まれるかもしれない。
お前や俺や君や彼がいつ、どこで何をしていようと誰かが死ぬことには直結しないのかもしれない。
だからこそなんだ、立ち上がるのは。
だからこそなんだ、拳を握りしめるのは。
いつだってパンクを胸に持ちながら、気にいらねえ奴にはいつだって物言いながら、俺たちは何かを変えていかなければならない。
俺たちは何かを変えていけると証明しなければならない。
落ちこぼれ、上等じゃねえか。
偽物、上等じゃねえか。
上のほうで胡坐かいてる連中を引きずり下ろしてぶち抜くのは俺たちしか持っていない優しさが武器だ。
より良い暮らしを手に入れようとして股ばっかり開いてる節操のねえ奴らの目を覚まさせるには俺たちの思いやりが武器だ。
偉そうに人生経験を語って、その実、てめえばっかり可愛がっている奴の心に人の痛みを教えてやるには俺たちの心の痛みが武器だ。
成長、成長と大した価値観も生み出さずメディアでまくし立てる人間的成長をはき違えた挙句、誰一人救えねえ成長至上主義のクソどもに成長ではなく、進化が必要だと教えてやるには俺たちの背中が武器だ。
何にもしなければ人生なんて意味はねえ。
誰にも会わなければ人生なんて意味はねえ。
だからこそ、だからこそ今なんだ。
いつだって今しかないし、人生はいつだってこれからの話しかないんだ。
と、いうことを竹原ピストルの「俺のアディダス」という曲を聴いて思いました。
後輩くんたちにも聞かせてやりたい。