久しぶりに本屋へ行った。
普段はことあるごとに本屋へ寄っては雑誌を眺め、小説を手に取り、文庫を数冊買っては読み漁る生活をしている男なのだが、ここ最近はめっきり本屋へ行かなくなっていた。
明確な理由などなく、ただなんとなく新しい小説を読むよりも家にある本棚の、読み終わってしまった小説たちを今度はじっくり読んでみようと、そうしていたら次第に本屋から足が遠ざかっていた。
好きなものをいつまでも大切に、大事に思い、扱い、使う。そんな静かな生活を望んでいるのに社会は激しい流れをいつまでも保ち続けている。という話は置いといて。
そう、本屋へ久しぶりに行ったのだ。
三大作家のひとり
中村文則は僕にとって大好きな作家のひとりだ。
デビュー作から今作まですべて読み続けている。
本屋に行った僕が目にしたのは、そんな大好きな作家である中村文則の新作「私の消滅」だ。
モノクロの打ち付けられた塗料の様な激烈な表紙カバーが目に留まり、僕はこの「私の消滅」を手に取った。
帯に書かれた数行のあらすじから物語を連想させ、どのような展開や結末があるのかソワソワした。
ソワソワしたのである。
普通、ここは「ドキドキ」したと書くところだ。だが、彼の作品を読んだことがある人ならわかるだろう。
暗いという言葉では表しきれない奥行のある闇。物語によってはそこからのコントラストを描くものもあるが、たいていの場合はその「闇」が表面を覆う。
僕はこの「闇」が大好きだ。この陰鬱とした、ときに生きていくことへの後ろめたさなんかを感じながら物語に入っていくことで自分とその小説とがシンクロしているような錯覚が大好きなのだ。
会計を済ませたあとに隣接してあるカフェに寄り、なんとかフラペチーノを飲みながら読み続けること2時間半。
一気読みである。
恐ろしい小説を書くものだと思った。
いやいや、素人ながらこんな偉そうなことは言えないのだけれども、とにかく恐怖を感じるほどの出来栄えだった。
あらすじに代えて
目覚めると、ある男の手記が置いてある。あなたはこれを読むことになる。
そこにはある男の半生が描かれている。
手記の上には注意書きが。
「あなたはこれを読むことであなた自身を失うことになる」
書評
中村文則の作品は、これまで出版されてきた作品の中でも特に「教団X」から雰囲気が変わってきたように思う。
前作「あなたが消えた夜に」では小さな失踪事件から大きな殺人事件へと転がっていく物語をテンポよく描かれていて、彼の作品には珍しく、登場人物たちの会話にもユーモアが溢れ心地よいリズムを刻んでいる。
これまでの作品にはどちらかと言うと主人公の内面、そのすべてを描き切ろうとしていた感がある。
その心の葛藤と様々な感情の混じり合う部分が彼の持ち味であるし、漠然と捉えている「生きづらさ」を表現しているようにも思えるから、なにかと自分にあてはまる場面を勝手に抜き取ってはシンパシーを感じてしまう。
「私の消滅」は、これまでのどの作品をも超えてきたという印象を受ける。
まず、展開の速さ、そして抉るような闇の吐露。ある出来事をきっかけに自分の、あるいは世界の存在意義に疑問を投げかける。終盤へと向かうまでどういう風にして決着がつくのか、僕は手に汗をかきながらページをめくっていた。
この驚きと、闇を抉るさらに深い闇をぜひ体感してもらいたい。
あとがきに代えて
愛とはなにか、恋とはなにか、社会とはなにか、世界とはなにか、神とはなにか、家族とは、恋人とは、自分とはなんなのか。
これだと自信をもって言える、あるいは思えるものがある日急にすべて消え去ってしまったらあなたは一体どうするだろうか。
体の痛みは忘れても心は覚えていた、とあるロックバンドが歌っているように「今」はこの「意識」の連続で成り立っているだけなのかもしれないと思える作品でした。
本書あとがきにあった宮崎勤元死刑囚が幼い頃、小鳥を殺して土に埋め、また掘り起こして大事に抱きかかえ、小鳥が死んだことに涙を流した、と聞いたとき彼の犯した犯罪は決して許されるものではないけれど、世界とはいったいなんなのだろうと思いました、とある作者の言葉が妙に心に残る本だった。