サイコスリラーとは、ただイカレていればいいというものでもない。

スティーブン・キングの小説を実写映画化したこの映画は1990年に製作されたものだ。

映像は当時の技術の最先端をいっていたとしても、やはり現代に見るとかなり粗が目立つ。

だが、それも「味」に変わってしまうほど雰囲気がすでにホラーである。

小説家の憂鬱

ジェームズ・カーン演じるポール・シェルダンは有名な小説家である。

彼の代表作「ミザリー」シリーズは彼が成功するためのきっかけになった作品であった。

「ミザリー」シリーズだけで終わりたくない。

シリーズで人気のあるヒット作と新たな小説を生み出したい小説家の性との葛藤を背に、物語は進む。

漫画家でも著名なアーティストでも、ひとたびヒットするものを手がけると爆発的に売れ、人気が出る。

それは流行となり、多大な恩恵に作者は恵まれることになるが、一方でその人気作品が一人歩きしはじめ、作者の意図とは別にユーザーは独自の見解と展開を要求しはじめる。

俗に言う信者というやつだ。

「NARUTO」の作者である岸本斉史氏は代表作である「NARUTO」以外にも書きたいマンガがあるということは週間少年ジャンプなどでもたびたび目にする。

ヒットしてしまったがために辞め時を作者自身が決められず、望んでいない展開に持っていかれるのは、ユーザーである読者の強い要求も少なからず影響しているだろう。

だが、作品を生み出す作者は自分で展開を決め、終わり方を決め、次の作品の構想にふけっているはずなのだ。

人気作品の続投を望む声と新しい作品を作りたい作者との「ズレ」が徐々に作者を追い詰め、作品に影響が出始めて結果的に望まない最後を迎えることも少なくない。

既存のヒット作だけで終わらず、新しいものでもう一度ヒットさせたいと思うのは、どんなジャンルの作り手でも思うことは同じなのかもしれない。

一番のファン

キャシー・ベイツ演じるアニー・ウィルクスはそんな「ミザリー」シリーズの大ファンだ。

吹雪で事故にあったポール・シェルダンを助け、自宅で看病するようになるが、作者のポール・シェルダンの「ミザリー」シリーズに対する思いを知り、徐々に狂いはじめる。

狂気は熱を帯び、やがて行動に移る。

この癇癪もちのアニーを演じたキャシー・ベイツは恐ろしい女優だ。

癇癪状態と通常状態を見事に使い分け、そのギャップで恐怖を生み出すことに成功している。

ポールが部屋に閉じ込められている最中、彼の緊張感は見ているこちら側にも伝わり、手が汗ばんでいくのが分かる。

純粋なファンだからこそ、盲目的に作品の世界観を信じ込み、疑わない。

それは作者にとってこの上なく幸せなことであるが、同時にもっとも恐ろしいファンであるとも言える。

この映画はそんな狂気を見事にパッケージすることに成功している作品だ。

物語はゆっくりと加速していく

衝撃のラストまでゆっくりと展開していく中盤はきりきりと精神的な恐怖を感じる演出の連続だ。

すでにポールになった気分で自分だったらどう逃げようかあれこれ考えてしまっている。

いい映画とは自分をストレスなく映画の世界に潜らせることができるかどうかだ。

この映画に関して、僕はどんなサスペンスを観るよりもまずはこの映画を見てから、「基準」としてもらいたい。

それぐらいのお手本的映画となっている。

 

 

 

あとがき

実はこの映画、むかーし観たのですが、正月だしやることねーなーと思ってTSUTAYAで借りてきたものです。

一緒に「悪魔のいけにえ」を借りてきて「ミザリー」の前に観たんですが、断然「ミザリー」の方が怖かったですね。

名作ということですでにレジェンド入りしているこの作品。

みなさんも一度ご覧になってくださいね!