ふらっと本屋に立ち寄るのが好きだ。
買うものも決めずにただただ「ふらっと」立ち寄るのだ。
そうして専門書や雑誌、文庫に漫画といったコーナーの最後に僕はいつもハードカバーの小説新刊コーナーを訪れる。
ランキングや山積みにされた「オススメ」には目もくれないのだがこの日は違った。
なんとなくタイトルが目にとまった。
恋愛小説が割と嫌いじゃないと気付いたのは自分が「大人」になったと実感してからだった。
この小説は、そのとき僕が抱いていた疑問に明確に答えの一つを提示してくれた。
その魅力を少しご紹介したいと思う。
君の膵臓をたべたい
作家は住野よる。
この作品が処女作ということで作者の情報等が非常に少ないのが残念だ。
あらすじ
主人公の春樹が病院の待ち合い室で見つけたのはクラスメイトの女の子の日記だった。
その日記には彼女がもうすぐこの世から去ることが記されていた。
コミュニケーションが苦手で人との関係を絶ってしまった少年と死が決まった少女とが過ごす再生の物語。
ラスト数十ページ、確実に泣きます。
書評
まず、この作品が処女作だということに驚いた。
主人公と少女との会話やユーモアのセンスが非常に不快感なく、また、若く初々しい男女の距離感をうまい具合に表現していた。
物語の展開にも心地よいスピード感があり、中だるみもすることなく文字通り「一気読み」できる作品であった。
コミュニケーションが苦手な少年は人に関心を持たない。
この関心を持たない。興味がない。という人は実は現代社会の中にもかなりたくさんいる。
実は先日、一緒に飲んだ僕の親友も同じことを言っていた。
僕は不思議だった。ずっと疑問だった。
「人に興味がない」ということが本当に起こりうるのか。そのとき飲んだ僕の親友の回答は「本当はうまく関わりたい」というニュアンスを大いに含んでの物言いだった。そこで少し納得したのだが、この小説を読んでより具体的に理解した気がした。
人に興味がない=自分に自信がない
自分に自信がない人は話す相手が自分のことをどう思うか不安でしょうがない。マイナスな印象を与えてしまわないか、不快感を与えないか、そもそも自分と話しても楽しくないんじゃないか。
そう考えてしまい、そう考えて傷つかないためには興味を持たなくすればいいという結論にたどり着く。
しかし、本音では「もっとうまく話したい」「もっと楽しませたい」「もっと笑わせたい」「もっと慕われたい」そんな気持ちが心の中を占めている。
話すことが嫌いな人間っていうのは実はいなくて、みんな自分の話を100%のリアクションで「聞いてもらいたい」のである。
その先にあるものが「認められたい」という気持ちだったりする。
こうなってくると複雑に見えるコミュニケーションが苦手な人でも蓋を開けてみると実に原始的な欲求を抱いているなと感じる。
この物語のヒロインである少女は快活な性格で誰とでも仲良くでき、すぐに友達もできる。
そんな彼女は自分とは正反対の少年に自分の存在に興味を持ってもらいたかった。しかし、病気が邪魔をして踏み出せない。
死ぬ前に彼女は少年に残したかったもの、それは・・・。
運命や宿命などこの世にはなく、すべての偶然に見えた事象はすべて自分が選んできた選択肢の先にある。
その選択肢の先に彼女は少年と出会うことを選び、少年は彼女と出会うことを選んだ。
自分で選んだ偶然のなかで少年は人との関わり方を再認識していく。
この話ラストで僕は泣いた。
単純な青春ラブストーリーかと思いきや、うまく現代人が抱える闇にもスポットを当てていて、読後すごく人と話したくなる。そんな小説でした。