人生の忘れ物。
きっと誰にでもあるものだろう。
年齢なんて関係なくて、後悔や自責の念。それを含めて人生だとよく耳にするが、それすらも受け入れて生きていくとしたら、それはもう後悔でも自責の念でもなんでもない。
人は忘れる生き物だが、忘れてはならないものがこの世にはたくさんある。
思い出や愛といった美しいものなら結構だが、もっと汚く、どろどろした恨みの念すらもそれにあたると僕は思う。
「前を向く」とはよく言ったものでこれまでの自分を捨てて新しいことをはじめたらどうやら「前を向いた」ことになるらしい。
J-POPの歌手や若い女はよくそのように言うが僕には少し理解できない。
引きずった思いも、傷ついた過去も、そして忘れられない過去も、それすら含め今の自分を形成しているのに、まるでなかったことにして生きていくのが「前を向く」ということなのだろうか。
ねちねち傷をかき回して、その場に立ちすくんでいるようだけど、実際には心の中でめまぐるしい変化を起こしている。
そう、人の辛さ、痛み、精神世界、それは他人にはわからない。
そして何をどうしていたって「後ろ向き」になることなど人間には不可能だ。
進んだ方向が「前」なのにあたかも必ずプラス思考にならなければ「前を向いた」ことにならないこのご時世は狂っているように見える。
最愛だった恋人と別れ、次の日には別の恋人がいて行為を行う。
好きで結婚したはずなのにいつかどこかで浮気をする。
色恋だけでなく、恨み、辛みもそれには大いに含まれるだろう。
少々前置きが長くなったが、僕の考えにこの小説は非常にマッチしていた。
その作家、歌野晶午
小説「葉桜の咲く季節に君を想うということ」が彼の代表作だ。
読みやすさとストーリー展開に定評のある歌野だが、どうも今回の作品は毛並が違うように思えた。
文章力はさすが。
短いページ数に詰め込まれた伏線と登場人物たちの感情の揺らぎ。
悲壮感さえ漂うその世界観は読み手を物語の世界にどっぷりと連れていってくれるだろう。
あらすじ
癌を告知されたスーパーの万引き警備員の主人公はある日、万引きした少女の免許証を見てその生年月日に思うことがあった。
その少女と交流を深めていくうちに拭い去れない過去が男に降りかかる。
書評
ネタバレになってしまうかもしれないが、この小説は後味が悪いかもしれない。
というのも客観的に見たとき、だれも幸せにはなっていないからだ。
他の書評サイトを見ても同じように、後味が悪いだとか、そういった類のものが書いてある。
だが、僕はこの小説の主人公と同じ立場になっていたらきっとこの主人公と同じことをしただろう。
魂の救済と言えるだろうか。
僕はこの主人公がラストになって救われたのだと思った。
少女に関しては同情の余地はない。
途中までは現代の若い女を見事に描き切っているなと感心しながら読み進めていたが、主人公に感情移入すればするほど憎くなってくる。
「まえがき」にも書いたが、このラストそのものが主人公の「前を向いた」結果といえるだろう。
いい物語を読んだと思った。